【簡単】ウィトゲンシュタインの生涯|論理哲学論法

ウィトゲンシュタインの生涯|論理哲学論法 哲学
【簡単】ウィトゲンシュタインの生涯|論理哲学論法

「ウィトゲンシュタインって誰? ウィトゲンシュタインっての哲学を知りたい? 論理哲学論法って何? 哲学って何だか難しそうだな…」

こういった疑問に物理学修士&経営学修士(MBA)の筆者が答えます。

結論

反証主義とは英物理学者カール・ポパーが提唱した「反証可能でなければ科学でない」という理論です。詳細は本記事にて解説します。

本記事の参考文献

本記事の内容

ウィトゲンシュタインの生涯

【簡単】ウィトゲンシュタインの生涯|論理哲学論法

ウィトゲンシュタインはルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは1889年4月26日、オーストリア・ハンガリー帝国の首都ウィーンにて兄が4人、姉が3人兄弟の末っ子として生まれます。父親は製鉄産業界の重鎮、母親は芸術家のパトロン(支援者)で、ウィトゲンシュタイン宮殿と呼ばれた邸宅には、彫刻家ロダン(代表作:考える人)、作曲家メンデルゾーン(代表作:夏の夜の夢)など有名な芸術家、詩人、建築家たちが度々訪れました。
ウィトゲンシュタインの父親は旧来の古典教育に反発して、自分の子供にも義務教育を認めず、自ら考案した独自のカリキュラムに従って、14歳まで全員を家庭教師によって自宅で教育させました。一見華麗なる一族のような華やかに思えますが、音楽の神童と呼ばれたウィトゲンシュタインの長男は父の会社経営を迫られ船から投身自殺、次男も同じ理由で服毒自殺、三男は第一次世界対戦で部下の不始末の責任を取ってピストル自殺しています。ウィトゲンシュタイン自身も自殺願望に悩まされますが、自殺を「根源悪」と切り捨て62歳の時、癌で亡くなるまで生きました。ちなみにピアニストの四男は第一次世界対戦で右手を失いますが、「左手のピアニスト」として活躍しました。
ウィトゲンシュタインも14歳まで家庭教師による自宅教育を受け、1903年からは高等実科学校で3年間教育を受けました。ちなみにアドルフ・ヒトラーとこの学校で同級生となります。
その後、ベルリンのシャルロッテブルク工科大学(現ベルリン大学)で機械工学を学び、マンチェスター大学工学部でヘリコプターに関する研究を行いますが、1912年ウィトゲンシュタインはケンブリッジ大学で哲学に関する研究を行います。大学では3大経済学者ジョン・メイナード・ケインズと出会い交友関係を持ちます。
1913年、父の最後の看護を看取るため、ウィーンに戻ります。父の死後、ウィトゲンシュタインは数百万クローネ(現在価値で数十億円)の財産を手に入れますが、数十万クローネを芸術財団に寄付して、残りを兄弟姉妹に全て与えました。そこから第一次世界大戦が始まる1914年まで、ノルウェーの山小屋にこもって研究を行います。
第一次世界大戦が始まってからはオーストリア・ハンガリー帝国軍の志願兵となって4年に渡り前線で戦い、その結果二度の勲章を授与され、一兵卒から少尉まで昇進しています。しかし、オーストリア降伏直前にイタリア軍の捕虜となり、収容所に送られます。その際に「論理哲学論考」を執筆して、釈放後の1922年に出版されました。この本を出版するにあたり、ウィトゲンシュタインは「すべての哲学的問題の本質において最終的な解決を与えた」と宣言し、哲学に関心がなくなりました。※詳細は次項で解説
その後 ウィトゲンシュタインはオーストリアに戻り、教育養成学校に通って教師となりますが、生徒の両親からの苦情が絶えず、短期離職を繰り返したあげく、修道士になろうとしますが、修道院長に「あなたの求めているもとめているようなものはここにありません」と拒否されたため、哲学の道に戻り、1929年「 論理哲学論考 」を博士論文として提出しました。その後ケンブリッジ大学の哲学教授になり、晩年は「哲学探求」という著書を書き続けます。1949年に前立腺癌と診断され、1951年には友人たちが到着する数日前にウィトゲンシュタインは62歳で亡くなります。最後の言葉は「素晴らしい人生だったと伝えてくれ」でした。結局「哲学探求」は未完のままとなっています。

論理哲学論考

論理哲学論考

ウィトゲンシュタインは博士論文「論理哲学論考」の内容で「語りうることは明らかに語りうるのであって、語りえないことに関しては沈黙しなければならない」と結論づけ、「すべての哲学的問題の本質において最終的な解決を与えた」と宣言しています。どういうことかというと、例えば「アメリカの首都は?」、「現在の日本の総理大臣の名前は?」、「半径rの円の面積はπを使うといくら?」といった問題は言語で明確に問うことができて、明確に答えることができます。しかし「神はいるか?」、「悪とは何か?」という問題は言語そのものが不明確なので、明確に答えることができないのです。このように ウィトゲンシュタインは、全ての哲学問題は問題に値しない疑似問題なので答えられないのだと、哲学問題を解決したのです。しかし、このウィトゲンシュタインの論法にはもちろん反論があります、それは「語りうることは明らかに語りうるのであって、語りえないことに関しては沈黙しなければならない」という言葉自体が哲学問題であって、明確に答えることができないのです。つまりこの結論は「自己矛盾」しているのです。実はそのことをウィトゲンシュタインも気づいており、ウィトゲンシュタインは「論理哲学論考」の最後に「私の命題(ウィトゲンシュタインの結論)は、それを理解する読者がそれを通り抜け、その上に立ち、それを見下ろす高さに達したとき、最後にはそれが無意味であると悟る。読者は私の命題を克服しなければならない。その時読者は、世界を正しく見るだろう」と述べているのです。

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