フェアシュアーの生涯|人体実験の歴史

フェアシュアーの生涯|人体実験の歴史 自然科学
フェアシュアーの生涯|人体実験の歴史

「フェアシュアーって誰? フェアシュアーが人体実験をしたって本当? 優生学って何? 断種法とは? 科学って何だか難しそうだな…」

こういった疑問に物理学修士の筆者が答えます。

結論

人類遺伝学者オトマール・フォン・フェアシュアー(1896-1969)はアウシュビッツにおける収容者虐殺に関与しながら罰せられることはなく、戦後も大学教授として要職を歴任し、死ぬまでドイツ医学界のトップに君臨し続けた人物です。詳細は本記事に解説します。

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フェアシュアーの生涯

フェアシュアーの生涯

人類遺伝学者オトマール・フォン・フェアシュアー(1896-1969)はアウシュビッツにおける収容者虐殺に関与しながら罰せられることはなく、戦後も大学教授として要職を歴任し、死ぬまでドイツ医学界のトップに君臨し続けた人物です。そんなフェアシュアーの生涯を「学生時代」、「優生学時代」、「反ユダヤ主義時代」、「戦後」に分けて解説します。

学生時代

オトマール・フォン・フェアシュアー(1896-1969)はドイツ中央部の自然豊かな村を代々領地としてきた貴族の家に生まれました。幼い頃から自然科学に強い関心を抱き、研鑽を重ねた青年は1914年、ボン大学に入学。この時期、ドイツ独自の青年運動であるワンダーフォーゲルに参加するかたわら、白人至上主義にもとづく人種差別的な思想を持つ知識人たちの著書に出会い、遺伝学や人種学に傾倒していくのです。
第一次世界大戦に将校として従軍。敗戦後1919年に再入学したマールブルク大学では医学を学びました。1920年にはヴェルサイユ条約の批准に反対する右派のクーデターゼネストが武装化など、フェアシュアーの学生時代は敗戦国ドイツの混乱とともにありました。

優生学時代

そうした経験を経たフェアシュアー「優生学」に傾倒していきます。優生学とは農作物の品種改良を施すように、人間社会においても遺伝的に望 ましい形質を持つ者を残し、そうでない者を取り除くことで、「進化」を人為的に実現し淘汰を推し進めるというものです。
優生学はダーウィンの「進化論」で注目を浴びるようになりました。ダーウィンが生物が生存競争と自然淘汰によっ て環境への進化的適応を遂げてきたという証拠を膨大な観察によって科学的につきとめて『種の起源』にて発表した結果、その影響力は、単なる生物学の学説としての域にとどまらず、人間社会の「進歩」 に当てはめようとする「社会ダーウィニズム」と呼ばれる思想も登場しました。
優生学は当時、世界中でブームでした。優生学は発祥の地であるイギリスとアメリカを中心に学問的探究が進み、1902年にはアメリカのインディアナ州で、犯罪者を対象に最初の「断種」手術が行われて、1907年に世界初の断種法(断種法とは遺伝性の病気の患者や障害者などを、 国家に経済的な負担をかける劣等者と見なして強制的に不妊手術を施すための法律)が成立し、以後ヨーロッパ諸国でも、国家政策としての断種法を1920年代までにアメリカ国内の多くの州やヨーロッパ諸国でも国家政策として採用しました。
後発のドイツでも国家レベルの課題に対処する画期的な応用科学分野として、優生学は急速に地歩を固めていく。 フェアシュアーもまた、「目の前の患者だけでなく、民族全体を救うことができる」と、 優生学に取り憑かれていきました。
その後、ミュンヘン大学で医学博士号を取得したフェアシュアーは1923年、ドイツのテュービンゲン大学の付属病院でポストを得て、遺伝生物学の研究を開始します。
フェアシュアーが研究対象として目を付けたのが双子で、一卵性双生児は同一の遺伝子を持ち、二卵性双生児は50%(普通の兄弟姉妹と同じ) の遺伝子を共有しており、一卵性と二卵性の双生児を統計的に比較することで、人間の外見や体質に遺伝がどの程度関与しているのかがわかります。たとえば、ある病気に二人ともかかる割合が一卵性双生児のほうが高い場合、その病気のかかりやすさに遺伝が関わっていると考えられるのです。
フェアシュアーは、結核に感染しても発症する人としない人がおり、この違いには遺伝的な要因かと考えました。そして一卵性と二卵性、合わせて127組の双生児について、結核の発症傾向を精査したところ、 双生児が二人とも結核を発症する確率は、一卵性が二卵性に比べて45%高かったことがわかりました。つまり結核の発症には遺伝的な性質が相 当な重要性を持つことがわかったのです。
双子研究で認められたフェアシュアーは1927年、カイザー・ヴィルヘルム協会がベルリンに新設した人類学・人間遺伝学・優生学研究所の人間遺伝学部の部長に就任。ここを拠点に、「結核から民族を救うために優生学を取り入れ、 患者に対して不妊手術を行うべきだ」と、自らの双子研究の成果を優生政策の実践に応用するため、活動を開始したのです。
さらに、フェアシュアーは結核患者だけではなく障害者に対しても断種を行うべきだと主張しました。
1929年に世界恐慌が起きたこともあり、それは敗戦の痛手からようやく立ち直りつつあったドイツを打ちのめし、600万人にものぼる失業者を生んだこともあり、プロイセン州政府は、フェアシュアーのデータをもとに、1931年、10万人におよぶ障害者の不妊手術を認める断種法案を策定しました。
この時点では「本人の同意」を条件とする福祉政策でしたが、1933年、民衆の不満を背景に勢力を拡大し、前年の議会選挙で第一党となったナチス・ヒトラーが首相に就任。ナチス政権が成立すると、強制的に不妊手術を行うことを可能にしました。
我が党に対して完全な忠誠心を持っており、政治的宣伝の面でも意義がある」とナチス に評価されたフェアシュアーは、フランクフルト大学に新設された遺伝病理学研究所の所長に就任しました。
最初に取り組んだのは、フランクフルト市民の遺伝情報の収集だった。病院、養護学校、 福祉施設などから家族の病気の履歴や障害の有無といった情報を集めて、遺伝カードの作成を開始。三年間でフランクフルト市民のおよそ半分に当たる、25万人もの遺伝情報を 手に入れる。それは断種すべき人々をあぶり出しました。
病人や障害者の徹底的排除を開始したナチスの優生政策もまた、エスカレートしてゆき、対象の病気のがある者に不妊手術を受けさせる断種去のみならず、1935年には結婚そのものを禁ずる法律「婚姻健康法」が成立しました。
結婚の申請に来て優生裁判所へ送られた30歳の女性は妊娠6か月で、フェアシュアーが彼女を知的障害と診断すると、早急に中絶して断種することもありました。
1945年までにおよそ400万人が強制的に断種された。犠牲者は、当時のドイツ国民 の200人に1人にのぼりました。

日本においても戦前の1940年には「国民優生法」が、戦後の1948年には 「優生保護法」が施行された。そして、1996年に「母体保護法」に改正されるまでの 長期間にわたり、断種手術が行われていたのだ。日本以外にも多くの国家が、第二次大戦後も長らく同様の断種を実施しました。

反ユダヤ主義時代

ヒトラーはドイツ民族を、人種のなかで最上位にあるとされるアーリア人種の末裔であり、「ユダヤ人はどこにでも住み着く」、「どこでも金もうけを始めるユダヤ人は国際的な不穏分子だ」といった反ユダヤ主義のフェアシュアーらは、優生学的な観点から 「異人種が移住してくると遺伝的に異質な形質が持ち込まれ、ドイツ民族が変えられてしまう。ユダヤ人が増加し、影響が大きくなることを阻止しなくてはならない」と述べました。
1939年のナチス・ドイツによるポーランド侵攻を機に、イギリス、 フランスがドイツに宣戦布告。第二次世界大戦の火蓋が切られる。全面戦争への突入で医師が不足していく状況下で、断種法にもとづく政策としての不妊手術は中止され、代わりに施設や医療機関で暮らす障害者や精神疾患の患者などを直接、殺害する「安楽死計画」が、 ヒトラーの指示で実施されるようになります。
1942年、フェアシュアーは、かつて人間遺伝学部の部長を務めたカイザー・ヴィル ヘルム協会の人類学・人間遺伝学・優生学研究所所長に、46歳で就任する。大きな権限を得たフェアシュアーは、より科学的、かつ“簡潔、に、ユダヤ人を特定する手段を開発すべく、大規模な研究に取りかかります。
フェアシュアーは「人種によって血液中のたんぱく質に違いがあるのではないか」という仮説を立て、
当時14万人ものポーランド人、ソ連軍捕虜が収容されていた「アウシュビッツ強制収容所」で働いていた弟子のメンゲレから血液を集めるように命じました。ある者は、血液がなくなるまで 採血され、しぼんだビニール袋のようになって倒れた者もいたという。 その結果、まざまな人種からなる200人以上の血液標本ができ、やがてメンゲレは、血液のみならず、眼球や内臓、骨格なども手に入れようと考え、収容者たちの殺害を開始しました。
しかし、「ユダヤ人」という概念は「日本人」が人種ではないのと同じ意味 において人種ではなく、あくまでも文化的・宗教的・歴史的な括りである。それを科学的・ 生物学的に特定できると思い込んだところに論理的破綻があった。

終戦後

1945年、アウシュビッツ強制収容所は、東部戦線におけるソ連軍の反攻によって解放され、西部戦線でも米英軍などの猛攻が続き、連合国軍は四月になるとドイツの首都ベルリンに迫ります。敗北を悟った総統ヒトラーは、4月30日に自殺。後継に指名されたカール・デーニ ッツ海軍総司令官のもとで、5月7日、ドイツは連合国への無条件降伏を受け入れたました。
敗戦と同時に、それまで権勢を誇っていた科学者や医師たちは一転して戦争犯罪人とな り、追われる身となった一方、フェアシュアーは人体実験に関与していたことを示す書類を破棄し、自らが不利となる証拠を隠滅するのです。
結局、フェアシュアーはナチスの犯罪の指導者ではなく追随者と判定され、およそ45万円の罰金のみで許され、釈放された。本来ならフェアシュアーの罪は許されていが、アメリカは、ナチス以前は世界で最も優生学を推進していた国だったわけです。ですからフェアシュアーの優生政策への参与を裁いていけばいくほど、自分たちに火の粉が降りかかってくることになる。実際、フ ェアシュアーの研究に対しては、戦前にアメリカのロックフェラー財団がかなり高額の研究費を拠出していました。ですから連合国側も、フェアシュアーに あまり踏み込めなかったのです。

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