戦争紛争の闇|ルワンダの真実

戦争紛争の闇|ルワンダの真実 哲学

「ベトナム戦争ってどんなの? 戦争の闇とは? ルワンダの紛争の真実 戦争って何だか難しそうだな…」

こういった疑問に物理学修士&MBAの筆者が解説します。

結論

ルワンダでは寄付金をもらうために、四肢が切断されるような事件がたくさん起きていました。詳細は本記事にて解説します。

本記事の参考文献

本記事の内容

戦争紛争の闇

戦争紛争の闇|ルワンダの真実

戦争紛争の闇で特に悲惨で有名なベトナム戦争、三角貿易、ルワンダの紛争があります。それぞれ解説します。

ベトナム戦争

ベトナム戦争で、米兵はジャングルの中、見えない敵と戦うストレスを紛らわすために、ヘロインを使用しました。1965年のダナン上陸から1975年のサイゴン陥落の間に、20%の米兵がヘロインに蝕まれ、後遺症は70年代後半まで続きました。
また米兵がジャングルの戦いで苦戦していたため、空から民間人も巻きこみ爆撃や枯葉剤散布などを行うと、生まれてくる赤ん坊の目が1つだったり、体が繋がった双子が生まれたりという現象が問題になりました。

三角貿易

中国、インド、イギリスは三角貿易を行っており、イギリスは中国から紅茶を輸入して、中国はインドからアヘンを輸入していました。国内にアヘン中毒者が溢れ、貿易赤字も拡大し、中国から銀が大量に流出しました。中国はアヘン商人を国外退去させ、アヘンを海に捨てました。イギリスは16隻もの大艦隊を中国に派遣した結果、中国は香港を割譲(南京条約)するはめになります。さらにイギリスはアヘンの輸入を認めさせるため、もう1度中国と戦争した結果、20世紀始めには中国人の1/4がアヘン中毒になった。

ちなみにCIAはLSDを含む麻薬を自白剤として使用する研究を行いましたが、正確な自白かわからずに頓挫しました。また南北戦争では鎮痛剤としてモルヒネが使われていましたが、40万人の軍人がモルヒネ中毒になりました。

ルワンダ

1994年、ルワンダの虐殺では、多数派のフツ族が少数派のツチ族を虐殺し、100日間でルワンダ国民の2割が犠牲になりました。
当時は鉈で殺された死体が道路わきに積み上げられたり、川や湖を埋めてるシーンや、家具を抱えて国境の難民キャンプへ逃げる人々の様子が報道されていました。しかし、難民は虐殺されたツチ族ではなく、お隣の国に住んでたツチ族の報復を恐れてフミ族が難民となっていたのです。つまり、フミ族はツチ族から殺して奪った家具などを持って難民キャンプに避難していたのです。
なぜメディアはこのような背景を報道せずに、虐殺されたツチ族が難民キャンプに逃げたかのように見せたかというと①ニュースでは時間が限られている②視聴者は複雑な構造を求めていない③仮設滑走路がガマ難民の近くにあって便利だったからなのです。さらにひどいのは、NGOは世界中から集めた募金を虐殺を行ったフミ族に援助していました。なぜなら、メディアが寄付を報じないと意味がないからです。さらにNGOは手や足がない子供たちをアメリカに連れて帰って、寄付がいかに役にたっているかを証明するため、義足を与えるセレモニーを開いたり、養子にしたりしました。しかし中には養子にした子供を途中で突き返す者も現れます。
次第に人間の感覚は麻痺していき、死体の山を見ても何も感じなくなります。すると募金の数は減っていきます。そこでカメラマンが殺到したのが手足が切断されて泣きながら這いずり回る子供です。殺すのではなく、悲惨な状態で生きている子供の方が何倍もインパクトがあり、NGOはさらなる募金を集めることができるのです。そうとわかると、中には子供の手足を切断して、その子供をメディアに見せつけることでお金を得ようとします。当時、手足がない子供たちが不自然に多かったのはこういった金銭的報酬が原因だったのです。

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