【簡単】哲学|プロタゴラス、ソクラテス、デカルト、ヒューム、カント、ヘーゲル、デューイの理論を1分動画付きで解説

哲学の歴史 哲学
「哲学ってどんなのがあるの? 有名な哲学者って誰? 哲学の歴史を学びたい 哲学ってなんだか難しそうだな…」

こういった疑問に、MBA大学院生の筆者が解説します。

結論

哲学はプロタゴラスの「相対主義」から始まりました。哲学を学ぶことで「人をなぜ殺してはいけないか」などを学ぶことができます。最小は本記事にて解説します。

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なぜ人を◯ろしてはいけないのかを哲学で解説##MBA ##学べるtiktok #tiktok教室

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本記事の参考文献

本記事の内容

哲学とは

哲学とは、自然および「宇宙と生命の意味」についての学問
出典:オックスフォード英英辞典philosophy noun – Definition, pictures, pronunciation and usage notes | Oxford Advanced Learner’s Dictionary at OxfordLearnersDictionaries.com

1.プロタゴラス

名前:プロタゴラス
紀元前:485年頃~紀元前410年頃
出身地:ギリシャ
主張:「相対主義」

相対主義とは「全体的な真理は存在しない、価値観は人それぞれ」ということです。
プロタゴラスの時代は農耕により食糧自給が安定してきて、村は都市へとどんどん大きくなった時代でした。都市が大きくなると、今まで出会ったことの無い人と出会うようになり、みんなそれぞれ価値観や神話が違っていました。例えば「カミナリは神様の怒りだ」という人もいれば、「神様が悪魔を倒しているんだ」と、いろんな意見がありました。
そんな中プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」と唱え、「人って主観で言ってるだけで、他の人からしたら違うかもしれないよね」と主張しました。

古代ギリシャの政治家たちはプロタゴラスの「相対主義」を議論の場で使いまくりました。

2.ソクラテス

名前:ソクラテス
紀元前:469年頃~紀元前399年頃
出身地:ギリシャ
主張:「無知の知」

プロタゴラスの「相対主義」を議論の場で使われまくってた時代に、「正しい事がないなんて、なんかヤバくね?」って考えたがソクラテスです。
ソクラテスは相対主義的主張をする政治家に対して「今、正義と言ったけど正義って何?」と聞きます。すると政治家は「正義とはみんなの幸せのことだよ」と言い返します。さらにソクラテスは「じゃあ、幸せってなに?」と、政治家に質問責めをして、政治家が答えられなくなるまで繰り返します
政治家が答えられない様子をみてソクラテスは「結局は何も知らないんですね(笑)」と皮肉を言い、反論を開始します。
ソクラテスは別に政治家をディスりたいわけではなく、「脳死状態の相対主義ではヤバイだろ」と考えていたのです。そしてソクラテスは大衆に「俺も真理については何もわからないけど、みんな一緒に考えようぜ」と自分の無知をさらけ出しました。これが「無知の知」と呼ばれるものです。

現在、無知の知は「無知なのに何でも知っていると思ってる人より、自分は物事を知らないと自覚している分、他人より自分の方が物事を知っている」と解釈されています。

その後、政治家から反感を買ったソクラテスは「若者を堕落させた罪」で死刑を言い渡されました。死刑執行までに逃げる事ができたソクラテスですが、逃げる事は自分の真理ねじまげることになるので、逃げずに死刑執行を受け入れました。

3.デカルト

デカルト
西暦:1596年~1650年
出身地:フランス
主張:「第一原理(われ思う故にわれあり)」

17世紀はルネッサンス(古代の文化を復活させようとする運動)や宗教改革(教会が免罪符を売るのはダメだろという運動)が起こり、教会の権威が次第に弱まっていきました。逆に17世紀は科学や数学などが発展していきました。
数学では「三角形の内角形の内角の和」という定理は「平行線は交わらない」、「直角は等しい」などの5つの命題(公理)を出発点にして導き出されたものとうことが明らかになり、デカルトは「哲学にも出発点となる公理があるんじゃね?」と考えました
デカルトは「今見えているリンゴは本当に見えているんだろうか…」、「あのリンゴは悪霊が俺に見せているのではないか…」と懐疑し続けました。
何もかもを疑ったデカルトは「疑っている俺の存在って実在してんじゃね?」とひらめきました
「たとえ悪霊が俺に幻覚を見せていても、幻覚を見る対象がいないと幻覚は見れないから、やっぱり俺の存在って絶対じゃね?」と思い、自分の存在という心理にたどりつきました。

4.ヒューム

名前:ヒューム
西暦:1711年~1776年
出身地:イギリス
主張:「複合概念」

当時、神様は絶対のものでした。あのデカルトさえ、神様の存在だけは疑いませんでした。
しかしヒュームだけは「神様なんて人間の経験と概念に由来する複合が創造物だろ?」と考えました。
なぜヒュームが神様はいないと思ったかというと、まず創造できるものはすべて経験に由来すると考えました。例えばペガサスなんかは馬と、翼を組み合わせた概念でこれは過去に馬と翼を見たことがあるから創造できるのです。ヒュームはすべての知識や概念はこういった過去の経験を組み合わせであり、そこから概念を作りあげることを「複合概念」としました。
ヒュームは「自分を見守ってくれる神様も、両親が小さい時に支えてくれたという経験から創造したものに過ぎない」としたのです。

5.カント

名前:カント
西暦:1724年~1804年
出身地:ドイツ
主張:「モノ自体」

カントは「ヒュームはすべての知識や概念はこういった過去の経験を組み合わせって言ってるけど、どうして数学や倫理学のような、多くの人間同士で通じ合える学問が存在するんだろう?なんで人それぞれの学問体系がないんだろう?」と疑問を持ちました。
そこでカントは「ヒュームの言う通り、人間は知識や経験を得てるけど、それは「人間」としての特有の形式があり、それは経験によらず先天的なものだ」と思いました。
例えばイソギンチャクは上から降ってきたエサを食べるというように、縦だけの一次元的な活動しかしていません。しかし人間は縦、横、奥行きといった三次元的活動しています。つまり、イソギンチャクの見ているエサと、人間が見るそのエサでは感じ方が違うから、「同じエサ」であっても、そのエサが実際どのように存在しているのかは人間の先天的な感覚でしか判断できないとしました。
そこでカントは「人間はモノ自体には到達できない」としました。ここでいう「モノ自体」とは本当の世界で写るモノ(人間の先天的な感覚ではなく、真実の形)のことです。

6.ヘーゲル

ヘーゲル
西暦:1770年~1831年
出身地:ドイツ
主張:「弁証法」

時はフランス革命の時代、ヘーゲルは真理の到達方法を考えました。そこで思いついたのが「弁証法」です。
弁証法とは「対立する考えをぶつけあわせ、闘争させることによって、物事を発展させていくやり方」です。例えば幼稚園のある子供Aは「この積み木は丸の形をしている!」と言います。違う子供Bは「これは四角だよ!」といいます。幼稚園の先生が「丸でも四角でもどっちでもいいじゃない」と注意すればその場は収まるのですが、それでは物事が発達しません。徹底的に議論させます。

そして、子供A違う場所から積み木を見ます。すると「あれ?こっちから見ると四角に見える」と言い、「これって丸なの四角なの?」 と先生に質問します。すると先生は「これは円柱っていうんだよ」と子供達にとっての超真理となりました。

弁証法

7.デューイ

名前:デューイ
西暦:1905年~1980年
出身地:フランス
主張:道具主義

ヘーゲルは弁証法によって物事は真理を目指して高い次元へと成長していると述べましたが、二回に渡る世界大戦で、「世の中って、別に良くなっていくとは限らないよね」っという流れになりました。
そんな中で「プラズマティズム(実用主義)」という哲学思想が現れました。
「プラズマティズム(実用主義)」とは、「幸せとは何か」とか「正義とはなにか」とか考えてもしかたないから「それって結局何に役立つの?役立つ事を考えよう」という思想です。
その思想をもとにデューイは「Aを信じることが人間にとって有用性があるとしたら、Aの真偽によらず、Aは心理ある」という道具主義を考えました。
例えば「人を殺すのは悪か?」という問いに関して、考えても実用的には意味がありません。
しかし人を殺すと他の人が安心して生活できません。
そこで「人を殺してはいけないと信じることが、人間にとって有効である(人々が安心して生活できる)から、人を殺してはいけないということは真理である」としました。

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