パウリの生涯を解説|パウリの排他原理とは

パウリの生涯を解説|パウリの排他原理とは 量子力学
パウリの生涯を解説|パウリの排他原理とは

「パウリって誰? パウリの生涯を知りたい。 パウリの排他原理って? 物理学って何だか難しそうだな…」

こういった疑問に物理学修士の筆者が答えます。

結論

ヴォルフガング・ヨセフ・パウリ(1900-1958)は「原子のいかなる核外電子も、ほかの電子と同一の量子状態をとることができない」というパウリの排他原理を提唱し、ノーベル賞物理学賞を受賞しています。詳細は本記事にて解説します。

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本記事の内容

パウリの生涯

パウリの生涯を解説|パウリの排他原理とは

パウリの生涯の少年時代と研究者時代をそれぞれ解説します。

少年時代

ヴォルフガング・ヨセフ・パウリ(1900-1958)は医者であり生物物理化学教授の父親と、広範囲な劇文学の知識を持つ母親のもとで生まれます。パウリが7歳になったとき、誕生した妹は後に女優となります。パウリが10歳の時、ウィーンのドブリンガー・ギムナジウム(ヨーロッパの中学校)に入学します。ラテン語、ギリシア語ではいまいちの成績だったのですが、自然科学の分野では才能を発揮し、ギムナジウム卒業後すぐに相対性理論の論文を発表しています。
そしてパウリはミュンヘン大学に進学すると、金属内の自由電子の量子論物理学者A・ゾンマーフェルトのもとで指導を受けます。ゾンマーフェルトは後に不確定性原理のハイゼンベルグも指導します。ちなみにパウリは夜型の朝寝坊で、毎度昼過ぎに講義に顔を出すような学生で、ハイゼンベルクは朝型ですが、趣味(キャンプ、登山、テニス、卓球、チェス、ピアノ)に時間を費やしすぎる学生だったようです。
大学時代からパウリは実績とは別に「パウリ効果」で有名になります。パウリ効果とはパウリが関わった機械が壊れてしまうという現象で、一番有名な話に「ベルン大学物理学教室爆発事故」があります。ベルン大学物理学教室ひどい爆発事故があり、調べていくうちに、ちょうどその時間にパウリが乗った列車がベルンを通りかかっ ていたというものです。それだけでパウリ効果だと言われるほど、パウリと機械の相性は悪かったようです。
その後、ゾンマーフェルトは学生のパウリに、もう教えることがないにもかかわらず、大学の規則で博士号を授与するまで6年間も大学に置いておかなければならない、ということに困っていました。そこで『数理科学百科事典のある相対性理論の部分をパウリに任せると、パウリは237ページにおよぶ対策をたった二〇歳の大作を書き上げました。これを読んだアインシュタインから絶賛されただけでなく、この部分だけ抜き出されて出版されたくらいの名作でした。

研究者時代

パウリは24歳の時に、最も有名な「パウリの排他原理」という「原子のいかなる核外電子も、ほかの電子と同一の量子状態をとることができない」という量子力学的現象を説明しました。後にこのパウリの排他原理でノーベル物理学賞を受賞しています。

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他にも、30歳のときに「ベータ崩壊と呼ばれる現象では、ある中性の粒子が放出されている」として、その粒子を予測しました。これはのちにE・フェルミによってニュートリノと名づけられます。
29歳の時、パウリは役者として修業中のケ ーテと結婚します。しかし、共に暮らし始めて数ヵ月で妻が逃げ出してしまい、1年もしないうちに離婚します。パウリは後に「私にとっては学術上 の業績で成功することの方が、女性と上手くやることよりも簡単なのです」といった手紙を書いています。離婚後、彼に不安やうつ状態といった深刻な精神的危機に襲われ、父親から精神医学者C・G・ユング(フロイトと並ぶ有名な心理学者)を紹介されます。ユングの診断によれば「意識が知的な方面に偏りすぎているので、無意識が反発して問題を起こしている」とのこと。
その後34歳の時、パーティで出会ったフランシスカ・バートラムと再婚します。この結婚は生涯続くことになるのですが、パウリは後に、若い女子学生と不倫をして「若い頃は物理学は易しいが女性との関係は難しいと思っていた。でも今は、まったく逆になってしまった」と周囲に述べるのです。
パウリは58際のときにすい臓癌で亡くなります。しかもこの癌は件さでわからなく「パウリ効果で機会が正常に働かなったのでは?」と言われています。

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