パスカルの生涯について解説

パスカルの生涯について解説 自然科学
パスカルの生涯について解説

「パスカルって誰? パスカルの生涯を知りたい。 パスカルの功績を知りたい。 物理や哲学って何だか難しそうだな…」

こういった疑問に物理学修士の筆者が答えます。

結論

フランスの科学者でもあり哲学者でもあるブレーズ・パスカル(1623-1662)はhPaという気圧の単位となっている他にも、「人間は考える葦である」という哲学的な名言も残しています。詳細は本記事にて解説します。

本記事の参考文献

本記事の内容

パスカルの生涯

パスカルの生涯について解説

パスカルの生涯を科学者時代と哲学者時代をそれぞれを解説します。

パスカルの科学者時代

ブレーズ・パスカル(1623-1662)はもともと体が弱く、いつも頭痛に苦しめられていました。11歳の時に、「皿を叩くとなぜ音がなるのか」という論文を書きました。また教育熱心の父親は「パスカルに数学を教えると、頭を使い過ぎてしまう」と考え、一切教えませんでしたが、パスカルが12歳のときに、自力で三角形の内角の和が180度になることを証明しました。これを見た父親は「さすがにこれ以上数学を教えないでいるのは無理だろう」と考え教え始めると、パスカルが16歳の時にはパスカルと呼ばれる定理を発見しました。17才の時には、徴税局で働く父親の仕事を少しでも楽にしようと足し算と引き算ができる機械式計算機の発明を行いました。
イタリアの物理学者エヴァンジェリスタ・トリチェリは、水銀が入った容器に、水銀が入った長さ約1mの試験管をさかさまに入れると、試験管に真空ができることを発見しました。そしてトリチェリは、試験管の水銀の重さと気圧が水銀を押す力が釣り合っていると結論づけました。
パスカルはこれだけでは実験が不足していると考え、同じ実験器具を気圧が低い山頂まで運ぶと、試験管の真空が大きくなると予測しました。パスカルは病弱だったため、義理の兄に頼んで、実験器具を山頂まで運んでもらった結果、パスカルの予想は的中して、試験管の真空が大きくなりました
水銀の柱の高さである76cmは空気が押す力の単位として760mmHgと呼ばれ1気圧とされています。その後単位が統一されて、hPa(ヘクトパスカル)となります。
ちなみにアリストテレスが「空間は真空を嫌悪する」と真空を否定していた名残りから、当時の科学者たちはパスカルの真空について否定的でした。

パスカルの哲学時代

パスカルの父親は医師と相談して、パスカルをパリの社交界にデビューさせました。
最初は楽しそうなパスカルでしたが、しだいに貴族社会に溶け込めなくなり、パスカルは31歳で社交界から去ります。その後パスカルは神や人間について考えたりしながら引きこもり生活を行います。その時に書いた著書『パンセ』の「人間は考える葦である」とうい言葉はパスカルを表す言葉として知られています。またパスカルの「人間=死刑囚論」では「人間はいつ死ぬかわかってないが、死ぬことがわかっているという点では死刑囚と一緒である。死刑囚と違うのは死刑囚はそのことを自覚しているが、人間はそのことから目を背けて、他のことで気晴らししている」と指摘し、「人間の悲惨さ」と読んでいます。とていますその後、39際の若さでこの世をさりました。
キリスト教を深く信じたパスカルは他人に対する愛情を忘れませんでした。例えば貧しい人を救うために5ソルの馬車という安くパリ市内を移動できる乗り合い馬車を考えました。また貧しい一家を引き取り、一家の子供が水疱瘡になったときは、周りから一家を追い出すように言われましたが、パスカルは逆に自分がでていきました。

デカルトを批判

パスカルはデカルトの様々な理論を否定しました。例えばデカルトは宇宙は微細物質「エーテル」で満たされているとしました。しかしパスカルは「実験できない微細物質は仮説にすぎない」と否定しました。またデカルトは神がまず世界を創造して最初の力を与えるとその後、世界は機械的に動くという主張したのに対して、パスカルは「神と言うものは繊細な精神によって理解できるもの」として神を持ち出すことを否定しました。

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