マクスウェルの生涯を解説

マクスウェルの生涯を解説 物理
マクスウェルの生涯を解説

「マウスウェルって誰? マクスウェルの生涯を知りたい。 マクスウェルの功績を知りたい。 物理って何だか難しそうだな…」

こういった疑問に物理学修士の筆者が答えます。

結論

スコットランドの物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェル(1831-1879)は電磁気学で最も有名なマクスウェル方程式や土星のわっかが粒でできていることなど、世の中の現象を数学的に表現するのが得意でした。詳細は本記事にて解説します。

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本記事の内容

マクスウェルの生涯

マクスウェルの生涯

マクスウェルの生涯を少年時代と研究者時代にわけて、それぞれ解説します。

マクスウェルの少年時代

ジェームズ・クラーク・マクスウェル(1831-1879)は、スコットランドの田舎町で弁護士の息子として比較的裕福な家庭で生まれました。近くに学校がなかったため、母が教師となって教育しましたが、マクスウェルが8歳の時に母が癌で亡くなります。その後、教育熱心だった父の方針で、家庭教師をつけました。しかし、この家庭教師はとんだ暴力教師で、何かにつけてマクスウェルをたたきまくり、幼少の心の傷となってしまいました。
10才から都会の中学へ通うことになると、フリフリの首かざりがついた時代おくれの服となまりの強い しゃべり方からいじめの標的になり、「変人」というあだ名をつけられました。歴史に名を残す科学者は神童が多いですが、マクスウェルの少年期の成績は平凡でした。普通の少年だったマクスウェルですが、 好奇心は人一倍で、14才のときには「卵形曲線」についての論文(卵形の図をえがく方法を示したこの論文)を書いてイギリス王立協会に提出すると、大人から一目置かれる存在になります。
進級するにつれて、同級生たちも目を見張るほど、数学の成績が急上昇して、大学では、数学の卒業試験「トライポ ス」で2位の成績をおさめます。1位の数学者ラウスに負けた悔しさから、数学の学内スミス賞ではラウスと同時受賞の1位をとっています。このあたりから代表的な研究となる電気と磁気について考えはじめたマクスウェルは論文をいくつか執筆して、これらがきっかけでマイケル・ファラデーとの交流が行われます。その後、25歳という若さで、アバディーン大学で「科学哲学」の教授になり、27才で学長の娘キャサリン・マリー・デュワーと結婚しました。

マクスウェルの研究者時代

マクスウェルの研究は、光や色、熱などいろいろな分野にわたります。マクスウェルは世の中の現象を数式で表すのが得意で、特に「マクスウェル方程式」というファラデーの電気と磁気の実験などを数式で表したものは有名で、アインシュタインの相対性理論のもとになっており、「電磁気学」という新分野を作りました。

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また土星のわっかが粒でできていることを数式的に表したのもマクスウェルで、この論文によりケンブリッジのアダムズ賞を受賞しています。さらにマクスウェルは発明にも長けており、史上初のカラー写真の撮影にも成功しています。
そんな研究者として超一流のマクスウェルですが、先生として人に教えるということは、あまり得意ではありませんでした。読書が好きなだけあって文章は完璧なのに、「講義がわかりづらい」と、学生の評判が悪かったのです
マクスウェルが40歳の時、熱力学第二法則に疑問を投げかけマクスウェルの悪魔の思考実験を示しました。

↓マクスウェルの悪魔について知りたい方↓

その後、46歳になったマクスウェルはアダムズ賞の審査員となり、かつて同級生だったラウスがこの賞を受賞しています。
マクスウェルの最後の大仕事は、キャベンディッシュが残した未発表の電気実験を、論文として出版するこ とでした。5年かけて作業を終えた数年後、 マクスウェルはがんでこの世を去ります。 48才という短い生涯でした。

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