【簡単】ケプラーの生涯|ケプラーの法則

ケプラーの生涯|ケプラーの法則 宇宙
【簡単】ケプラーの生涯|ケプラーの法則

「ケプラーって誰? ケプラーの生涯を知りたい。 ケプラーの法則って何? 物理学って何だか難しそうだな…」

こういった疑問に物理学修士の筆者が答えます。

結論

ヨハネス・ケプラー(1571-1630)は惑星が太陽の周りを楕円運動していることなど、「ケプラーの法則」を提唱しました。詳細は本記事にて解説します。

本記事の参考文献

本記事の内容

ケプラーの生涯

【簡単】ケプラーの生涯|ケプラーの法則

ヨハネス・ケプラー(1571-1630)は神聖ローマ帝国で居酒屋を営んでいた両親の間に生まれました。ケプラーは病気がちで、詩を書くのが好きな少年でした。大人になっても文を書くのが好きなケプラーは「お金の儲かる仕事を紹介してほしい」、「妹の婚約者の家柄を調査してほしい」、「仕事の愚痴や自慢話」などの手紙をいろんな人に送ります。その手紙は多い時には40枚にもなりました。ちなみにケプラーは26歳で結婚するのですが、妻を亡くすと、11人の再婚候補を2年間比較し続けたことも手紙につづっています。
ケプラーが24歳の時、地動説を唱えた著書『宇宙の神秘』を執筆して、ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)などの憧れの科学者に本と手紙を送りつけました。ガリレオはその手紙を見て「私も地動説を信じていますが、馬鹿にされるのを恐れて公表を控えています」と返信しました。それに対してケプラーは「ガリレオさん、自信を持って地動説を公に発表してください。共に戦いましょう。」と再度手紙を出しますが、ガリレオはその手紙を「臆病者」と罵られた気分になり、無視してしまいます。
一方、ケプラーの手紙と本を受け取ったもう一人の科学者ティコ・ブラーエ(1546-1601)はケプラーの才能を見ぬき、一緒に研究をしないかと提案しました。
ティコ・ブラーエとは、コペンハーゲンの近くのヒエン島にある観測所で、何年にもわたって惑星の位置を観測し、膨大なデータを残した天文学者です。彼はそのデータから地動説と天動説のちょうど間「太陽を中心に惑星を回っているが、地球だけは太陽を回らない」といった理論を提唱しました。ちなみに若いころに決闘をして鼻をそぎ落とされているため、かれの肖像画の鼻は不自然なものが多いです。
話をケプラーに戻して、ケプラーはティコ・ブラーエの死後に彼の膨大なデータから「ケプラーの法則」を提唱しました。

ケプラーの法則

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「第1法則:惑星は太陽を1つの焦点とする楕円にそって太陽の周りを公転としている」は上写真のように惑星は太陽の周りは楕円軌道をしてるということです。当時は「神様がお創りになった天上界の法則が楕円なんておかしい」と批判されました。
「第2法則:太陽から惑星にひいた動径は、同じ時間の間には同じ面積を覆う」は上写真の赤い部分のように面積速度が一定、つまり太陽に近づくと速度が速くなり、逆に遠のくと遅くなるという法則です。
「第3法則:任意の3つの惑星の周期の二乗は、おのおのお軌道の長半径の3乗に比例する」は言葉の通りです。ちなみに「なぜ地球が太陽の周りを回っているのか?」という問いに対してケプラーは「磁力の力によって太陽に引っ張られている」と主張しました。ケプラーはガリレオの「慣性の法則」を知らなかったからこのようなことをいったのです。その後ニュートンは「太陽のような高温の物に磁場があるのはおかしい」として「万有引力」によって上手く惑星軌道を説明しました。
その後、ケプラーは58歳で病死しました。ちなみにケプラーの時代は天文学者というものがなく、ケプラーは占星術師という星占いをする職業でした。ケプラーはティコの残した膨大なデータから星占いを行い、パトロンの死期を的中させたとしています。

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