ハイゼンベルグの生涯や不確定性原理について解説

ハイゼンベルグの生涯について解説 量子力学
ハイゼンベルグの生涯や不確定性原理について解説

「ハイゼンベルグって誰? ハイゼンベルグの生涯を知りたい。 ハイゼンベルグの不確定原理って? 物理学って何だか難しそうだな…」

こういった疑問に物理学修士の筆者が答えます。

結論

ヴェルナー・ハイゼンベルク(1901-1976)は行列力学や不確定性原理が有名で、第二次世界大戦中にドイツの原爆開発に関わったため、世界中の科学者が恐怖しました。詳細は本記事にて解説します。

本記事の参考文献

本記事の内容

ハイゼンベルグの生涯

ハイゼンベルグの生涯

パウリの生涯の学生時代と研究者時代をそれぞれ解説します。

学生時代

ヴェルナー・ハイゼンベルク(1901-1976)はギリシア言語学の教授である父と、ギムナジウム(ヨーロッパの中学校)校長を父にもつ母との間に生まれました。小学校からピアノを習い始め、ハイゼンベルクは終生ピアノの名手でありました。ナジウムに入学すると、独学で解析学を学んだり数報の論文を書いていました。
ハイゼンベルクはそのお得意の数学を専攻するつもりだったのですが、 なぜか面接で落とされてしまい、父親が物理学教授のA・ゾンマーフェルト(パウリの師匠)との面接を手配してくれました。ちなみにパウリは夜型の朝寝坊で、毎度昼過ぎに講義に顔を出すような学生で、ハイゼンベルクは朝型でしたが、趣味(キャンプ、登山、テニス、卓球、チェス、ピアノ) に時間を費やしすぎる学生だったようです。
ゾンマーフェルト は、弟子であるハイゼンベルクとパウリを、ボーアの連続講義に連れて行きました。そこで、19歳学生のハイゼンベルクは有名物理学者ボーアに向かって、批判を述べたのですが、自分の批判してくれる才能ある若者が好きなボーアは講演の後、ハイゼンベルクを散歩に誘い出し、二人で議論をしました。その後、ハイゼンベルクはボーアの研究所に来るように誘われ、ボーアの研究所に赴きます。

研究者時代

ハイゼンベルクが23歳の時、花粉症で二週間ほど休みをとったときのこと。海水浴や散歩で気分転換をしていたとき、「奇妙な数学の法則(行列)を使うと、量子力学を上手に説明できる」ことを閃きました。これ行列力学構築のきっかけとなり、ハイゼンベルクは後にノーベル物理学賞を受賞しています。 さらにハイゼンベルクは行列力学だけでなく、不確定性原理も提唱しました。不確定性原理とはミクロの世界ではあるモノ の「位置」が測定できると、今度は「運動量」がわからなくなってしまい、逆もまたしかりという原理です。ハイゼンベルクはボーアの研究所の屋根裏部屋に住んでいたのですが、不確定性原理をきっかけに夜遅くにハイゼンベルクのもとにボーアが訪れ、明け方まで量子力学の解釈について議論し合うことが連日続きました。その後、議論に疲れ果てたボーアはスキーに出かけることになり、ようやく解放されたハイゼンベルク は、不確定性原理の論文を書き上げるに至ったのです。しかし、スキー帰りのボーアは、不確定性原理よりも、ボーアの「相補性」というアイディアの方が本質をよく表していると考え、二人の議論は再び繰り広げられました。数日かけて二人が落ち着くとボーアの「相補性」とハイゼンベルグの「不確定性原理」は同じものである、という解釈に達しました。 この2つの考えを合わせたものが、現在「コペンハーゲン解釈」と呼ばれています。
36歳になったハイゼンベルグは室内音楽会で知り合った22歳エリザベスと意気投合し結婚しました。その後、7人の子供に恵まれます。
第二欠世界大戦では、 「ヨーロッパにいる物理学者の中にはアインシュタインやボーアといったユダヤ系の人が多く、彼らは海外に亡命していきました。一方、ハイゼンベルクは生粋のドイツ人でしたが国内からは 「白いユダヤ人」として非難を浴び、ヒトラーに忠誠を誓う宣誓書にサインをし、ドイツ軍の計画に参加し、核分裂研究の主任技術顧問という役目が与えられました。
ヨーロッパから逃れたユダヤ人科学者たちとアメリカ合衆国内の科学者たちは、天才ハイゼンベルクがドイツの軍事計画に参入していることに恐怖しました。原子爆弾が作られてしまうかもしれないという脅威が米国でマンハッタン計画が促進された原因のひとつでもあります。また米軍から刺客が差し向けられ、ハイゼンベルクは暗殺されかかったこともあるのです。
その後、ハイゼンベルクは師であるボーアがいるコペンハーゲンを訪れましたが、ハイゼンベルグの主張では「ボーアに対し、ドイツ軍は原爆を作る意志はないことを伝えた。米独の物理学者が密約を結び、原爆開発の推進を思い止まらせるようにすすめた。」とありますが、ボーアの主張では「ハイゼンベルクは連合国側の原爆開発の状況を必死に聞き出そうとしたり、 連合国側の原爆計画を自分を利用してやめさせようとした。」としており、そこから2人の関係が悪くなります。今では「ドイツの核開発計画」をやめるつもりはなかったという証拠があるので、ハイゼンベルグの主張が矛盾しているようです。
その後、ハイゼンベルグは74歳の時、腎臓癌でなくなりました。

ハイゼンベルグの不確定性原理

ハイゼンベルグの生涯や不確定性原理について解説

ハイゼンベルグの不確定性原理とはX成分の位置xを決めようとすると、X成分の運動量pが不確かな値しか求められず、逆にX成分の運動量を求めようとすると、X成分の位置が不確かな値となるという原理です。hはプランク定数といい、6.63×10-34J(ジュール)のエネルギーを表しています。
例えば野球ボールは目で見て位置がわかるし、スピードガンで速度(運動量)がわかります。しかし、野球ボールとは違いミクロな電子などは位置を見ようとすると、速度がわからなくなるし、速度を測定しようとすると、位置がわからなくなるのです。
これは測定誤差による影響ではなく、測定誤差を限りなく0にしても不確定性原理が表れるのです。
ちなみに私たちの家の床が抜けない理由はこの不確定性原理にあります。例えば私たちが立つと、足が床を押します。すると床の原子は押されて縮こまり、狭い空間に追いやられます。狭い空間に追いやられる=位置を特定されるのと同じなので、床の原子の平均運動量は大きくなり、押し返されるのです。

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