ガリレオ・ガリレイの生涯

ガリレオ・ガリレイの生涯 物理
ガリレオ・ガリレイの生涯

「ガリレオって誰? ガリレオの生涯を知りたい。 軽いものと重いものが同時に落ちるってガリレオが発見した? ガリレオの発見って何? 物理学って何だか難しそうだな…」

こういった疑問に物理学修士の筆者が答えます。

結論

ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)は「慣性の法則」や「太陽の黒点」など様々な科学的発見で有名ですが、軽いものと重いものが同時に落ちるのはステヴィヌスが先に発見しています。詳細は本記事にて解説します。

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本記事の内容

ガリレオの生涯

ガリレオの生涯

貧しい音楽教師の家に生まれたガリレオ・ガリレイ(1564-1642)は、誰にでも議論をふっかけ、相手を言い負かさないと気が済まない少年でした。父のすすめで医学部に入ると「教科書に書かれている法則は実際に確かめられたのか」と先生に問い詰めるほどでした。しかし、医学よりも数学に夢中になり、せっかく入った大学を退学して独学で物理を研究します。その後25才で中退した大学の数学講師として働くことになります。
ガリレオは同僚や学校を論破しようとするだけでなく、国王の息子が書いた機械の設計図に対しても「全然ダメ、こんなん動くわけない」と言って、国王を怒らせるのです。そのため、ガリレオはそこら中、敵だらけでした。ここまでガリレオが議論をふっかけるのにも理由があり、当時の科学は2000年前にアリストテレスが考えた古臭い教科書をなぞるだけで、ガリレオはそれらを一新したかったのです。ちなみにガリレオは教会のランプの揺れを見て、ふりこはゆれはばが変わっても、往復する時間はほとんど変わらず、長さで変わるという「ふりこの等時性」を発見したり、動いている物体は動き続け、止まっている物体は静止し続けるという「慣性の法則」を提唱しています。しかし、
「重さがちがっても同時に落ちる」 ことを検証して、アリストテレスの過ちを正したのはガリレオではなくステヴィヌスで、ガリレオより3年早い1586 年に、デルフトの教会塔から重さのちがう鉛を落とす実験を行ったのです。

ガリレオの地動説

ガリレオの有名な話に「地動説」を唱えた話があります。ガリレオはコペルニクスが唱えた地動説が正しいと思っていましたが、権力を持ったキリスト教が天動説を唱えおり、地動説を民衆に広めた牧師が火あぶりの刑になったことを知っていたガリレオは地動説を主張できませんでした。しかし、オランダの眼鏡屋が望遠鏡を発明したことを耳にすると、手作りで望遠鏡を作って、そこでは教科書とは全く違った宇宙を見たのです。そこから天体観測を続けた結果、地動説が正しいことを確信しました。そこでガリレオは天体観測をまとめた本と望遠鏡をセットで貴族たちに送ると、国中で天文ブームがおき、キリスト教最高権力のローマ法王にも会って味方につけ、ガリレオは地動説を主張するに至りました。しかし、敵が多かったガリレオは天動説派の陰謀により、法王庁から「地動説を唱えることを禁止する令」が出されます。しかし、ガリレオは地動説「賛成派」、「反対派」、「中立派」の3人が考えを述べあう著書「天文対話」を執筆し、ベストセラーになります。しかし、その中の天動説派の愚かな男は法王がモデルだと法王に吹き込まれ、ガリレオは法廷に呼び出されます。そこガリレオは「地動説が誤りだった」と主張させられます。
ガリレオはその後、職を失ったり、軟禁されただけでなく、晩年には失明する事態にもなりました。しかし、それでも口述筆記で成果を残し、77歳でなくなりました。

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