フリーマンの生涯|ロボトミー手術

フリーマンの生涯|ロボトミー手術 自然科学
フリーマンの生涯|ロボトミー手術

「フリーマンって誰? フリーマンが人体実験をしたって本当? ロボトミー手術って何? 科学って何だか難しそうだな…」

こういった疑問に物理学修士の筆者が答えます。

結論

アメリカの脳外科医ウォルター・フリーマン(1895-1972)は、精神障害者の脳の一部を切り取って治療するロボトミー手術を普及させた人物です。詳細は本記事にて解説します。

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本記事の内容

フリーマンの生涯

フリーマンの生涯|ロボトミー手術

アメリカの脳外科医ウォルター・フリーマン(1895-1972)は、精神障害者の脳の一部を切り取って治療するロボトミー手術を普及させた人物です。

学生時代

ウォルター・フリーマン(1895-1972)は、アメリカの東部、ペンシルベニア州フィラデルフィアの裕福な医者一族の長男として生まれました
少年期の彼はあまり大勢の友人を作らず、一人で読書をしたりカメラを持って外に出てはさまざまなものを撮るのが好きで、孤独を愛する性格でした。また他人の意見に耳を傾けることにはあまり関心がない少年でした。 彼の祖父ウィリアム・キーンは世界で初めて脳腫瘍の摘出に成功し、医学界で名を馳せた脳外科医で、フランクリン・ルーズベルト大統領の主治医も務めていました。
その後、フリーマンは、アメリカ東部の名門エール大学を優秀な成績で卒業。ペンシルベニア大学の医学部を経て、さらにヨーロッパの医学研究大学院に進学し、精神医学を学びました。
フリーマンが医学生として過ごした1910~1920年、精神医学の世界ではフロイト が創始した精神分析学が隆盛をきわめていた。神経症と呼ばれていたさまざまな症状の原 因が〝無意識の抑圧、 にあるとする仮説にもとづき、催眠や夢分析によって治療を行ったが、軽重さまざまな症状のすべてを治療できませんでした。
20世紀前半の精神医療のレベルは今とはかけ離れたものだった。入院患者たちは、狭い部屋に押し込められたり、暴れる者は拘束たりした。一度入院すると退院できることはまれで、精神科病院は「絶望の施設」と呼ばれていました。治療も非常に粗雑で、命の危険を伴うものでした。 たとえば、インスリン・ショック療法(インスリンを継続的に注射することで強制的に患者を低血糖状態にして昏睡状態に導き、統合失調症などの症状を軽減できる療法)や、電気ショック療法(頭部に電流を流して人為的に痙攣を起こさせる療法)くらいしかなすすべがなかったのです。このように精神科病院は、精神を病んだ患者の治療のためというよりも、彼らの世話に手を焼き、倦み、手に負えなくなった家庭や社会が、いわば合法的に厄介払いをするための施設だったのです。
医学研究大学院を卒業したフリーマンは、1924年にワシントンに移住し、アメリカ最大の精神科病院であったセント・エリザベス病院の研究所長に抜擢されます。
フリーマンは、精神疾患の原因が何らかの脳の異常に求められるのではないかと考え、病院内で死亡した患者たちの脳の解剖に明け暮れるようになります。しかし取り出した脳の形態に、特に変わったところは見つかりませんでした。

ロボトミー時代

アメリカのエール大学の研究チームが、チンパンジーの脳の前頭葉の一部を切ると凶暴性が収まると報告があり、ポルトガルの神経科医アントニオ・エガス・モニスは「その実験を応用すれば、人間を救うことができるのではないか」と考えました。モニスは、前頭葉から大脳辺縁系の視床へ信号が過剰に伝達されると、不安や強迫観念が起き、問題行動を起こすと考え、連絡回路に当たる白質と呼ばれる部分を精神疾患者から切りとりました
この術式を、モニスはラテン語で「ロイコトミー」(前頭葉白質切截術)と名づけた。論文によると、およそ七割の患者の症状が、治癒したか改善に向かったという結果が報告されました。
フリーマンはこの結果にいち早く飛びついた。ヨーロッパからロイコトミーのために特別に作られた長いメスを取 り寄せ、神経外科医のジェームズ・ワッツと協力して死体でロイコトミーを試し、自分たちなりの手術方式を工夫していった。こうして、1936年9月、彼らはアメリカ初の精神外科手術を行ったのです。
その後、フリーマンとワッツは4か月間で6人の重篤な患者に脳の手術を行う。6人のうち3人が退院。それまで治る見込みのないと言われていた患者が社会復帰を果たした。
実際、モニスやフリーマンの手術に対しては、発表当時から学界でも批判は少なくなかった。
フリーマンはマスメディアを積極的に利用してこれに対抗する。記者たちを集めては手 術前後の様子を取材させた。 新聞には、「なすすべのなかった苦しみから解放し、心の平和を取り戻す」 「医学界において、ここ数十年で一番の革新である」と、ロボトミーの成果を称賛する記事が躍りました。 ロボトミーをあたかも奇跡を起こす魔法の手術》として紹介したのです。
1945年、第二次世界大戦が終結すると、病院は戦争で精神を病んだ兵士たちであふれることになった。仲間が目の前で次々に死んでいったり、殺されるかもしれないという 恐怖に四六時中さらされたりして、心に傷を負い、精神的に崩壊したのです。公立病院に入院する半数が精神科の患者だったといわれている。戦後の混乱期に、50万人を超える精神疾患の患者たちが、ろくに設備もない精神科病院にただ無造作に詰め込まれていきました。
この状況を、フリーマンはロボトミー普及の絶好のチャンスと捉えた。1946年にはどこでも手に入るアイスピックを使う改良型のロボトミーを考案する。その方法は専門医を必要とする麻酔の代わりに、精神科医が扱い 慣れた電気ショック装置を使って患者を昏睡状態にして、目の裏側にある頭蓋骨の一番薄い部分に向け、アイスピックを差し込んで脳に分け入り、神経組織をかき切る。 時間にしてわずか10分足らずの、簡単な手術で朝に入院した患者は、順調にいけば翌日の午後には退院できました。
特別な資格もなしに精神科医が一人で実施できる改良型ロボトミーは、当時の精神科病院が抱えていた問題を解決する、革命的な手法として受け止められました。
1949年は、ロボトミー誕生のきっかけを作ったアントニオ・エガス・モニスが、その功績によりノーベル医学・生理学が授与され、ロボトミーは世界が注目する治療法となり、爆発的に広がっていきました。

ロボトミー衰退期

脳は非常に細かい神経線維が複雑に絡まり合った塊なので、現代の脳外科手術では直径1~2ミリの部分をピンポイントで狙っていくというように、きわめて繊細な精度で行うため、当時のフリーマンたちが行っていたような手術は、現代では考えられないほど危険なものです。
それゆえ、治療を受けた患者のなかには、家族にとって手に負えない存在でなくなったことと引き換えに、物事をやり遂げようとする能力や、豊かな感情といった人間性の核心部分を失ってしまった者も大勢いました。

例えばジョン・F・ケネディ大統領の妹ローズマリー・ケネディは、父親から知的障害を疑われ、23歳のときに強制的にロボトミーを受けさせ られた結果、人格が破壊され、重い後遺症に苦しみ、家族から隔離されて養護施設に入ることになりました。彼女は亡くなるまでの60年あまりを、施設でひっそりと過ごしたのです。
その後、1954年フランスの製薬会社で抗精神病薬として開発されたクロルプロマジンが、アメリカで認可されたのだ。統合失調症などの症状に対してロボトミー以上の効果が得られることがわ かり、年間200万人が服用するほど一気に広まりました。脳を切るロボトミーのように取り返しのつかない不可逆的なものではなく、もし副作用が強ければ投薬をやめれば済むのです。
新薬の登場でロボトミーを受ける患者はいなくなり、1960年代後半にはロボトミーはタブーとなります。

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