ファイマンの生涯について解説

ファイマンの生涯 量子力学
ファイマンの生涯について解説

「ファイマンって誰? ファイマンの生涯を知りたい。ファイマンの理論や功績って何? 物理学って何だか難しそうだな…」

こういった疑問に物理学修士の筆者が答えます。

結論

リチャード・ファイマン(1918-1988)は「量子電磁力学の繰り込み理論」でノーベル物理学賞を受賞した物理学者です。詳細は本記事にて解説します。

本記事の参考文献

本記事の内容

ファイマンの生涯

ファイマンの生涯

ファイマンの生涯の学生時代と研究者時代をそれぞれ解説します。

学生時代

リチャード・ファイマン(1918-1988)はニューヨーク郊外で、科学が好きなセールスマンの父の元に生まれす。父は「もし男の子が生まれたら必ず科学者になる」と予言し、ファインマンに英才教育を行った結果、予言通りファイマンや9歳年下のファイマンの妹は物理学者になります。
科学大好き少年になったファインマンは12歳の時に、自宅で実験室を作り、そこで電気工作や発明を楽みました。ちなみにファインマンは10代半ばからのアーリーンという女性と付き合っており、後に結婚しています。しかし、彼女は25歳の時、結核で亡くなります。後にファイマンは「アーリーンを亡くした後の僕の人生は、そんなにうまくいく必要もなかった。 だって、もう充分幸せを味わってきたんだから」という言葉を残しています。
17歳になったファインマンは、マサチューセッツ工科大学 (MIT)に入学します。ちなみにMITの学生時代にコンピュータ の会社を立ち上げたW・D・ヒリスは「ファインマンは、この会社に興味を持って関わったのですが、彼は自分の専門領域(その時に彼が興味を持っているもの)以外の問題は考えたくないふりをして断ってしまう」といいます。

研究者時代

卒業後はプリンストン大学大学院に移ったファイマンは、第二次世界大戦時だったこともあり、マンハッタン計画が行われているロスアラモス研究所へ行きます。そこでは大学院生という下っ端の立場ながら、所長のオッペンハイマ―から一目を置かれる存在となります。
ファイマンはペンシルベニアでの会議でファインマン・ダイアグラムと呼ばれる図をプレゼンで発表するのですが、聴衆の物理学者にとっては意味不明でボーアやオッペンハイマーまで酷評していました。この反応に落ち込んだファインマンでしたが、理論物理学者にダイソンがファインマンの理論は、物理学者シュウィンガーが提唱している「量子電磁力学の繰り込み理論」と同じことであるという説明をしました。このことからファイマンとシュウィンが―は後にノーベル物理学賞を受賞しています。
ちなみにファイマンは最初の妻アーリーンの死後、メアリー・ルーという女性と結婚しています。しかし、メアリーは物理学者嫌いでファイマンとボーアと食事を反対するほどでした。結局4年で離婚し、今度はイギリス人のグウェネスという女性と結婚します。グウェネスはファインマン同様、ふざけることが大好きな女性で、2人の間には息子が産まれ、養女を1人迎えています。
ファイマンが68歳の時には高齢ながらスペースシャトル「チャレンジャー号」の事故原因究明に貢献しています。その語、69歳の時、癌により死去しています。
ファイマンの功績はノーベル賞だけでなく、著書も有名で『ご冗談でしょう、ファイマンさん』は全世界で1000万部のセールスを上げています。またファイマンは哲学、心理学、超ひも理論が嫌いだったことが有名で、偉そうに見せようとする馬鹿も嫌いだったようです。特にノーベル物理学賞受賞者マーレ・ゲルマンの「僕は賢いんだ」という態度が嫌いであり、逆にゲルマンはファイマンの目立ちたがり屋のところが嫌いで2人は不仲でした。そしてファインマンの死後、多くの人が彼に追悼文を書いたのですが、ゲルマンはファイマンのこんな所は嫌いだったということまで書くほどだったのです。

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