【簡単】フェルマーの最終定理とは|天才たちの軌跡

フェルマーの最終定理とは 数学
【簡単】フェルマーの最終定理とは|天才たちの軌跡

「フェルマーの最終定理って何? フェルマーの最終定理は誰挑んだの? フェルマーの最終定理の内容を知りたい。 数学って何だか難しそうだな…」

こういった疑問を物理学修士の筆者が答えます。

結論

フェルマーの最終定理はフランスの法律家ピエール・ド・フェルマー(1607-1665)が証明したとされる定理で、アンドリュー・ワイルズ(1953-)が証明し、1995年に正しいことが証明されました。詳細は本記事にて解説します。

本記事の参考文献

本記事の内容

フェルマーの最終定理とは

フェルマーの最終定理

フェルマーの最終定理はフランスの法律家ピエール・ド・フェルマー(1607-1665)が証明したとされる、x≧3のとき、xn+yn=znを満たす、自然数x,y,zは存在しないという定理です。
例えば、n=2(x2+y2=z2)の場合は32+42=52といった解が見つかりますがx3+y3=z3、x4+y4=z4 、x5+y5=z5といった場合は解が見つからないというものです。

フェルマーは証明を見つけても、その証明の美しさを愛でたあと、メモを捨ててしまうのですが、彼の死後にフェルマーの息子が「証明がない48の定理」を出版します。その定理1個1個を証明するのは激ムズで、例えばその中の1つ(素数の定理)をオイラーは7年もかけて証明したほどなのです。
その後、フェルマーが残した定理を天才数学者たちが証明されていく中、1つだけ残ってしまいました。それがフェルマーの最終定理なのです。ちなみにフェルマーは多くの数学者たちに影響を与えており、例えば確率論の父と呼ばれたパスカルは、確率論をフェルマーとの文通で作りました。またニュートンはフェルマーのアイディアによって微分積分を確率したことを書き残してるほどなのです。

フェルマーの最終定理に挑んだ天才たちの軌跡

フェルマーの最終定理が証明された軌跡を18世紀、19世紀、20世紀の数学者に分けて解説します。

18世紀の数学者

まずレオンハルト・オイラー(1707-1783)は、フェルマーが残したヒントによってn=4の時に解が存在しないことを証明します。そしてn=3の場合も虚数を導入することで、n=3の場合も証明方法を見つけました。これらを証明したということはこれらの倍数も証明したことになります。例えば、n=3を証明したということはn=6,9,12も証明したことになり、n=4を証明したということはn=8,12,16を証明したということになるのです。つまり、nが素数の場合にxn+yn=znの解が存在しないことさえ証明すれば、フェルマーの最終定理を証明できるのです。

19世紀の数学者

オイラーはフェルマーの最終定理の突破口を開きました。オイラーの死後、半世紀にわたりまったく進展がなかったのですが、ペーター・グスタフ・ディリクレ(1805-1859)がn=5の時に解が存在しないことを証明し、さらにガブリエル・ラメ(1795-1870)がn=7の時に解が存在しないことを証明しました。n=3,4,5,7の時に解が存在しないことは証明されたので、後は全ての素数に拡張するだけで、ラメやコーシーが「あと2週間でフェルマーの最終定理を証明できる」と宣言した頃、エルンスト・クンマー(1810-1893)が「ラメとコーシーの証明では『素因数分解の一意性』が成り立たない」といいました。一意性とは例えば18という数字は2×3×3で表されます。つまり、どんな数字でも掛け算は一通りしかないというものです。しかし、ラメとコーシーの証明は虚数を使っていました。虚数を使っていいなら18という数字は(1+√1-17)×(1-√-17)と表せてしまい、18を二通りの数で表せてしまうことになります。これでは素因数分解の一意性が成り立ちません。ラメとコーシーは一意性を前提として証明していたため、これでは証明できたことにならないのです。クンマーはラメやコーシーの理論を否定するだけでなく、理想の素数を導入すると、一意性問題が回避できるとも主張しましたが、n=37,59,67の際に理想の素数を使っても一意性問題を回避できないことがわかりました。ちなみにクンマーはこの一意性を回避できない奇妙な虚数を非正則素数と名付けました。
その後、大富豪パウル・ヴォルフスケール(1856-1906)がフェルマーの最終定理の証明に10億円の懸賞金をかけたため、ブームが起きます。しかし、クルト・ゲーテル(1906-1978)の不完全性定理により「ある矛盾のない数学体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が存在する」ことがわかりました。数学体系とは例えば「どの2点も直線で結べる」、「すべての直角は等しい」などの公理から出発して「三角形の和は180度になる」といった定理を見つけるというような枠組みを1つの数学体系といいます。この公理を変更したりすると別の数学体系といえます。つまり、ゲーテルは現在使われている数学体系が例え正しいとしても、解けるかどうかわからない問題が存在することを証明したのです。つまり、フェルマーの最終定理も数学として解けないかもしれない可能性が浮上したのです。
さらにアラン・チューリング(1912-1954)は「証明できない命題かどうかを判定する統一的な問題はない」として、数学者たちは解けるかわからない問題に挑まざるを得なくなりました。

20 世紀の数学者

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東京大学数学科でいっしょだった谷山、志村は楕円方程式とモジュラー形式という全く関係のない数式がゼータ関数で一致していると述べたのです。楕円方程式はy2=x3+ax2+bx+cといった惑星の軌道などで使用される方程式で、モジュラー形式とは複素平面上で多くの対称性を持つ関数です。たとえば、上表(並進対称性)のようにsinθは一山ずらしてもまったく同じ図形になります。また上表(回転対称性)のような図は、原点を中心に図形を回転させても同じ形になります。
sinθのようによこにずらしても図形が変わらないことを並進対称性をもつといい、原点を中心に回転させても図形が変わらないことを回転対称性を持つといいます。
モジュラー形式とはこれらの対称性を複素平面で多くもっており、x軸実数、x軸虚数、y軸実数、y軸虚数という4次元の図形で考えないといけないため、図で書いたり頭でイメージすることができません。
ここではゼータ関数についての詳細は置いといて、ある数学操作を行えばゼータ関数になるとだけ考えて下さい。つまり、谷山、志村は無限にある楕円方程式のゼータ関数とモジュラー形式のゼータ関数がそれぞれ対応していると予想したのです。しかし、これはあくまで予想であって、数十年間この予想を証明することができませんでした。
その後、ゲルハルト・フライ(1944-)がフェルマーの最終定理が成り立たないと仮定した場合、谷山=志村予想も成り立たないことを提唱しました。つまり、フェルマーの最終定理は谷山=志村予想と関係していたのです。つまり、谷山=志村が何十年も証明されなかった理由は谷山=志村予想を証明することが、フェルマーの最終定理を証明することだったのです。
その後アンドリュー・ワイルズ(1956-)が8年の歳月をかけてフェルマーの最終定理を証明しました。

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