【簡単】ファーブルの生涯

ファーブルの生涯 生物
【簡単】ファーブルの生涯

「ファーブルって誰? ファーブルの生涯を知りたい。 数学って何だか難しそうだな…」

こういった疑問に物理学修士の筆者が答えます。

結論

ジョン=アンリ・カジミール・ファーブル(1823-1915)は『昆虫記』で有名な博学者です。詳細は本記事にて解説します。

本記事の参考文献

本記事の内容

ファーブルの生涯

ファーブルの生涯

ファーブルの生涯について「1.少年時代」と「2.研究者時代」に分けてそれぞれ解説します。

1.少年時代

実は彼の祖国フランスでは知名度の低いジョン=アンリ・カジミール・ファーブル(1823-1915)は、1823年南フランスの貧しい家庭で生まれました。貧しい家庭では6、7歳とになると働かされるものですが、ファーブルの名付け親であるP・リカールがファーブルに教育を受けさせるよう彼の父親を説得し、父親も動物の絵と名前を書いた大きな一枚の絵をファーブルに買ってきてくれたので、ファーブルは読み書きができるようになります。
一家が街に引っ越して生活が苦しかったときにも、子供には教育が必要であることを痛感していた父親は、ファーブルを王立中学に入れます。ファーブルはその礼拝堂で司祭の手伝いをすることなどで学費を免除してもらいながら、勉学に励み、ラテン語とギリシア語を身につけました。
その後、神学校(中学校)には無料で入学を許されますが、両親の家業が失敗続きで一家離散状態になってしまいます。お金が無かったため、ファーブルは食料を手に入れる変わりに詩集を買って学び続けました。結局に、中学校は途中で退学となります。やがてファーブルがアヴィニョンに滞在していたとき、そこの師範学校に首位で合格し、さらに三年後に首席で卒業することができました。 小学校高等免状を取得したファーブルは先生として20歳のときに同僚の教師だったマリー・セザリーヌ・ヴィヤールと結婚しました。結婚後、二人の子供に恵まれるのですが、二人とも一歳前後で亡くしてしまうと いう悲劇に襲われます。そんな中でもファーブルは大学入学資格と取得し、その後モンペリエ大学で数学と物理学の学士号を取得しました。

2.研究者時代

その後、コルシカ(フランスの僻地)にある中学校の物理学の教員に任命されました。実はファーブルは数学で身を立てようと思っていた時期がありましたが、トゥールーズ大学の教授から「ほんとうに自分は何が好きなのか、よくよく考えてみるのです」と言われ、トゥールーズ大学で博物学の学士号を取得しました。
昆虫の研究を始めたファーブルはコブツチスガリ(ハチの一種)とゾウムシの詳細な観察に基づく論文を発表するのです。そして、この論文は大きな評価を受けてフラン ス学士院のモンティオン賞を受賞します。
成人学級で物理と博物学を担当したファーブルですが「植物のめしべにおしべの花粉がつき、受粉することで子孫の種ができること」を女性の前で話してしまい、今でいうセクハラ問題に発展して、17年勤めた学校をクビになりました。
ファーブルは職を失った後、本の執筆で生計を立てる決意をします。そしてファーブルは昆虫以外にも歴史、地理、家事といった分野の教科書・入門書・啓蒙書を合計100冊近く執筆することになります。
執筆である程度の収入を得たファーブルはアルマスに住居を構えます。比較的平穏な生活を送っていたのですが、61歳のとき妻を亡くすと、2年後に23歳のジョゼフィーヌ・ドーデルと結婚しました。
その後ファーブルは91歳で老衰のため亡くなります。
ちなみにファーブルは神経質で時計の音も気になるくらいで、カエルの大合唱に腹を立てたファーブルはカエル退治にかなり乱暴なことをしました。さらにナイチンゲール(鳥)の鳴き声に「うるさい」と怒鳴って、散弾銃をぶ っ放したこともあります。

さらにファーブルやその他科学者を知りたい方
↓高校生から社会人にオススメ↓

↓中学生から社会人にオススメ↓

↓さらに科学者を知りたい方はコチラ↓

コメント

タイトルとURLをコピーしました