神様は存在するのか|神の存在証明4選

神様は存在するのか|神の存在証明4選 哲学

「神様は存在するの? 神の存在証明を知りたい。 宇宙論的証明や存在論的証明って何? 哲学って何だか難しそうだな…」

こういった疑問に経営学修士(MBA)の筆者が答えます。

結論

神の存在証明は昔から行われてきましたが、いまだに完全なる証明はなされていません。詳細は本記事にて解説します。

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本記事の内容

神の存在証明4選

神の存在証明4選

人類が誕生してから長年、神様は存在するのかどうか議論されてきました。ここでは有名な神の存在証明である「1.宇宙論的証明」、「2.存在論的証明」、「3.目的論的証明」を解説します。

1.宇宙論的証明

今私たちが存在するのは両親がいて、先祖がいて、ラミダス猿人がいて、原始生物がいて、そのためには地球があって、そのためには宇宙や物質があって、そのためには137億年前にビッグバンが生じて…のように今私たちがここにいるには、ビッグバン以前の最初の原因がなければなりません。その「第一原因」こそ神だという証明が「宇宙論的証明」なのです。
13世紀の神学者トマス・アクィナスは「何も存在しなかったところに物理的宇宙を存在させたのは、非物理的な存在でなくてはならない」として「第一原因」を提唱しました。もちろんこの証明には批判が多く「じゃあ神は何が原因で誕生したのか」という反論には答えられないのです。

2.存在論的証明

「神は全能である」ということを前提に置くと、神はなんでもできることになります。例えば時間を止められるし、現れたり消えたりもできます。つまり「神は全能である」と認めさえすれば、存在することなんて神からしたら容易にできるのです。このような論法を存在論的証明といいます。11世紀の大司教アンセルムスは「それよりも大なるものが可能でない対象」として神という概念を定義しました。どういうことかというと、例えば創造の世界を私たちの頭の中の世界、現実を私たちの頭の外の世界と考えます。頭の中だけで存在するか、頭の中と外両方に存在するか、どちらがすごいでしょうか?もちろん、頭の中と外両方に存在する方が凄いですよね。とある人気タレントは私たちの頭の中と外両方に存在します。しかし、もし神が私たちの頭の中にしかいないとすると、神より人気タレントの方が凄い存在になってしまいます。これは一番すごい存在が神様だという考えに矛盾してしまうので、神は頭の外、つまり現実にも存在するとアンセルムスは結論付けたのです。しかし、この存在論的証明はカントの純粋理性批判によって批判されました。

3.目的論的証明

目的論的証明とは、様々なものは設計されていて創造主(神)がいるという論法です。例えば荒野にスマホが落ちていたら、「このスマホは誰かに設計されたに違いない」と思います。しがたったスマホより複雑で精密な構造を持つ動物や人は誰かに設計されたに違いなく、その設計者が神であるという論法なのです。しかし、ダーウィンの進化論を考慮すると、人や動物はただ環境に適応しやすいように進化して、できない生物は自然淘汰されただけという反論があります。例えばトカゲの脳に大脳辺縁系を継ぎ足したのがネズミの脳になり、それに新皮質を足したのが人間の脳になるように、神によって精密にデザインされたわけではなく、ただ継ぎ足されていっただけなのです。
また「何者かが人間を精密に設計したとしても、別に設計者は神じゃなくてもよい」という反論もあります。

4.永井均氏の理論

哲学者永井均氏は神が伝統的人格神であれば「私は森羅万象の存在理由を知っている。しかし、この私は一体何なんだ?私自身はなぜ存在するのか?」と彼は自分の存在意味をより深い神に問わざるを得なくなるので、彼は本当の神じゃないと述べました。また永井氏は人が神に話しかける理由として「その人が嘘をつけない言葉を語る機会を作りたいから」と述べ、そういう機会を作らないと自分がなんであるかわからなくなるとしました。

5.デカルトの理論

デカルトはあらゆるものを疑い続けた結果、自分という存在は間違いなく存在する結論から「我思うゆえ、我あり」という有名な言葉を残しています。そこでデカルトはその結論を出発点として神の存在証明を以下のように試みました。

  1. 自分という存在は間違いなく存在 その自分は神という存在を知っている。
  2. 神は完全無限の存在なので、不完全で有限な存在である自分が神を知っているのはおかしい。
  3. 神と言う概念は自分が考え出したものではなく、外部から与えられたもの。
  4. したがって神は存在する。

この一連の流れを簡単にいうと、小(人間)が大(神)を知ることはできないから、デカルトが大を知っているということは、大が教えてくれたからだ。だから大は存在するということなのです。

神の存在と歴史

ルネ・デカルト(1596-1650)はロジカルモンスターでしたが、神の存在は認めていました。デイビッド・ヒューム(1711-1776)は「神は存在しない、神とは親や王など絶対的な権力者について経験が複合してできただけの人間像」と述べており、このような無神論の考え方はこの時代において異例なことで、ヒュームは異端として教授職を逃してしまっています。次にエマヌエル・カント(1724-1804)は神の存在をほぼ信じていたけど、キリスト教の神を信じていたのではなく、至上存在としての神です。しかし、カントは、人間が神の存在を客観的に証明することはできないと述べています。ヘーゲル(1770-1831)はもっと微妙で、神と言うものは人間が創り出した本質だと述べ、しかし、世界の全体としては至上存在があると言っています。そしてフリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)は神は死んだと言いました。このように神の存在は時代が進むに比例して否定されるようになったのです。その後、哲学では絶対存在や至上存在といったことを、誰も前提として立てられなくなったので、神の存在を前提として考える哲学者もほとんど現れなくなりました。

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