中国経済成長の理由|改革開放政策を詳しく説明

中国経済成長 経済
「発展途上国だった中国がどうやってここまで経済成長できたんだろう? 改革開放って何? 鄧小平(とうしょうへい)って何者? 中国と日本のGDPの推移を見たい 経済学ってなんだか難しそうだな…」

こういった疑問に経済・経営研究科の著者が答えます。

結論

中国が経済成長できたのは、鄧小平が1978年から行った改革開放政策が理由です。詳細は本記事にて解説します。

本記事の参考文献

本記事の内容

中国経済成長(中国と日本のGDP推移)

中国と日本の実質GDP推移

上グラフの表に、1980年の中国のGDP(国内総生産)は45兆円、日本のGDPは273兆円でした。40年後の2021年では、中国のGDPは1,688兆円、日本のGDPは546兆円でした。いかに急激に中国が成長したのかがわかると思います。この急激な中国経済成長は、どのようにして起こったのでしょうか。次項で解説します。
データ出典:世界経済のネタ帳

中国経済成長のきっかけ「改革開放政策」

中国経済成長のきっかけである改革開放政策とは

中国経済成長のきっかけは「改革開放政策」です。「改革開放政策」とは鄧小平(とうしょうへい)が政権を握った1978年以降に行われた、工業、農業、国防、科学技術の近代化を達成するための政策です。

「改革開放政策」には「農村改革」、「放権譲利型改革」、「対外開放政策」等の政策があげられ、中国経済成長を語るうえで欠かせない政策です。
中国のGDP成長率について知りたい方は第3節 中国:通商白書2019年版(METI/経済産業省)

鄧小平の以前は毛沢東が政権を握ってました。
毛沢東は中華人民共和国を建国したことで知られていますが、「大躍進政策」や「文化大革命」などで、数千万人の犠牲者を出したことでも有名です。
鄧小平(とうしょうへい)は1977年に「日中平和友好条約」、1979年に「米中国交正常化」を締結した際、各国の技術を偵察して資本主義路線に踏み切りました。

農村改革

改革開放(農村改革)

改革開放以前、中国では人民公社という政府の末端企業が大規模な土地で複数の農家の人たちを働かせていました。

そこでの農家の人たちはめっちゃ生産性が低かったです。なぜなら、大勢が働いてるから1人がサボってもバレないし、頑張っても給料が変わらないからです。

そこで政府は農家毎に土地を与えて、「一定以上の生産物は自分らの好きに使っていい」という生産請負制にしました。すると生産性はめっちゃ向上しました

農家の人たちは「一定以上の生産物」を国に買い取ってもらう事で、高収入を得られるようになりました。

中国の象徴といわれた人民公社制度は20年間続き、1985年に廃止されました。
1978年、農村部の貧困発生率は97.5%だったのに対して、2015年には5.7%に減少しています。
出典:「現代中国経済論(第2版)」ミネルヴァ書房 2017年

放権譲利型改革

改革開放(放権譲利型改革)

「農村改革」でうまくいった政府は、1984年に都市部の改革へ移行しました。

今まで国有企業の「新商品を作ろう!」といった意思決定権は政府が持っていたのですが、国有企業にその決定権とそこで得られた利益を譲りました。その結果、生産性は飛躍的に上昇しました

国有企業はいろんな名目で政府への上納金を少なくし、この改革自体はうまく行かなかったですが、後の政府と企業の切り離しのきっかけとなり、経済成長が加速しました。

1996年、都市部の都市貧困率は0.46%だったのに対して、2015年には4.41%に増加しています。
農村部は貧困層が激減しているのに対して、都市部の貧困が問題となっています。

出典:「現代中国経済論(第2版)」ミネルヴァ書房 2017年

対外開放政策

中国経済成長(対外開放政策)

1980年に深圳等の4箇所を経済特区として、外国からの投資を呼び込みました。2015年末までに合計1兆7409億ドルも外国から投資を得ています

1985年プラザ合意によって円高になり、日本製品の輸出が伸び悩みましたが、中国で安く作ったら安く売れるので、この時期に多くの日本企業の中国進出しました。このような背景もあり、中国の外資誘致は大成功を収め、目覚ましい経済成長を遂げました。

対外貿易は1978年~2016年にかけて98億ドルから2兆982ドルまで増加しており、2020年現在では世界一の輸出国家となりました。(輸入はアメリカに次ぎ2位です)
深圳は中国のシリコンバレーとも呼ばれ5番目に人口が多いIT都市です。5Gの配備やタクシーのEV化で有名です。

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