5次方程式以上に解の公式はない|アーベルの生涯

5次方程式以上に解の公式はない|アーベルの生涯 数学
5次方程式以上に解の公式はない|アーベルの生涯

「アーベルって誰? アーベルの生涯を知りたい。 5次方程式以上に解の公式がないって本当? 数学って何だか難しそうだな…」

こういった疑問に物理学修士の筆者が答えます。

結論

ニールス・アーベル(1802~1829)は5次以上の方程式に解の公式が存在しないことを初めて証明した数学者です。詳細は本記事にて解説します。

本記事の参考文献

本記事の内容

アーベルの生涯

アーベルの生涯

アーベルの生涯の「1.学生時代」と「2.ヨーロッパ遊学時代」をそれぞれ解説します。

学生時代

ニールス・アーベル(1802-1829)は聖職者で国会議員でもあった父と貴族の娘である母の間に生まれました。父は全科目の教科書を作りアーベルに与えるという英才教育を行いました。一方母は華やかな社交婦人を望んでいたのですが、牧師の妻としてそれが叶わず、情緒不安定で引きこもりがちでした。
13歳のときに聖堂学校に入学したアーベルは、新任の数学教師から積極的に支援を受けました。数学教師は、アーベルの成績表に「生き長らえるならば、偉大な数学者の一人になることが、大いに考えられる」と記載しています
大学に進学したアーベルですが、父が多額の借金を作った上に、在学中に亡くなったため、経済的に困窮していました。 そんな中、アーベルの才能を知った教授陣は大学評議会に奨学金を与えて支援してくれたこともあり、アーベルは22歳で「5次以上の代数方程式には、解の公式が存在しない」ことを初めて証明しました。これは300年もの間、5次方程式の解の公式を研究していた数学者たちに終止符を打ったのです。しかし、アーベルは貧困から6枚の紙しか使えず、無理やり6ページに証明を詰め込めこんで天才数学者ガウスに送った結果、この論文をガウスは見もしないで捨ててしまったのです。
その後、教授陣は「アーベルが祖国の誇りとなる科学者になるために、もっと著名な数学者がいる国外の場所に行かせる」とヨーロッパ遊学も斡旋したのです。

ヨーロッパ遊学時代

アーベルはパーティで知り合ったクリスティーネ・ ケンプという女性と結婚後、ベルリン遊学中にA・L・クレレと出会い、クレレは『純粋及び応用数学雑誌』にアーベルの論文を掲載します。そして次にパリに到着したアーベルは、フランス科学アカデミーに提出するために大論文を書き上げました。しかし、その論文はアカデミーの論文評価委員オーギュスタン =ルイ・コーシー紛失されてしまいます。 ちなみにアーベルの死後、この論文は発見されました。ちなみにアーベルはドイツ人科学者ヤコビと楕円関数に関する研究で競争していたのですが、ヤコビはアーベルのアイディアを利用したにも関わらず、一言の謝辞も記さないまま、 彼のアイディアを利用した論文を掲載して、怒りを覚えたアーベルはヤコビを遥かに上回る論文を提出しました。
遊学から帰ってきたアーベルは遊学前に援助されていた奨学金が切れ、国内で職が見つからず、さらに父の借金の分や借金を作って逃げた弟の分まで返済義務を負っていました。お金に困ったアーベルは友人にも借金をし始めます。その後、大学の臨時講師を務めることができましたが、遊学中から当時は不治の病であった肺結核を患っており、26歳で生涯を終えるのです。その数日後、まだ彼の死を知らないクレレから 「ベルリンの大学でアーベルの職が決定した」との手紙が届きました。

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